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独島を守ることは、五千年の歴史を守ることです。

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安龍福と鬱陵島争界

安龍福の渡日により触発された鬱陵島争界と朝鮮の鬱陵島・独島領有権の確立過程を見ることができます。

  • 2度にわたる安龍福の渡日は、朝鮮と日本の間の鬱陵島、独島の領有権問題すなわち「鬱陵島争界」を誘発させました。この過程で日本は自国民の不法的侵奪行為を禁止するとともに、この両島が朝鮮の固有領土であることを認め、道海を法で禁止しました。
  • 粛宗実録巻30には安龍福が鬱陵島から日本に連れて行かれた情況と江戸幕府から鬱陵島と独島は朝鮮の領土であるという書契を受けてきたという陳述及び「鬱陵島争界」に対する記述が盛り込まれています。朝鮮だけでなく当時日本でも安龍福の渡日活動を記録しておきました。「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」は2005年に日本島根県の村上家が公開したものであって、1696年、安龍福が沖島に起着した当時、沖島の管理者が安龍福を調査した内容が記録されています。
  • 文書には、「安龍福が朝鮮八道地図を取り出し、江原道に鬱陵島(竹島)と独島(松島)とが属していると言った」と書かれています。「鬱陵島争界」以後、日本の江戸幕府は「竹島渡海禁止令」を下し、朝鮮政府に通知しました。当時は、鬱陵島を竹島、独島を松島と呼んでいたため、この禁止令は鬱陵島の渡海だけを禁止すると判断されますが、、鬱陵島を出入りした大谷家が所蔵していた史料には「竹島(鬱陵島)、松島(独島)」という記録があるので、竹島渡海禁止禁止令には独島も含まれていることが分かります。
  • 安龍福の渡日活動以後、朝鮮と日本の間に史料上最初の領土紛争である「鬱陵島争界」が発生しました。この結果、日本政府では「これまで一度も鬱陵島と独島が日本の領土だったことがない」とし、公式にこの二つの島が朝鮮の領土であることを認め、これに関する書簡を朝鮮政府に伝達しました。
  • 「鬱陵島争界」以後、日本の江戸幕府は竹島渡海禁止令を下し、朝鮮政府に通知しました。当時は鬱陵島を竹島、独島を松島と称していたため、この禁止令は鬱陵島への渡海だけを禁止すると判断されます。しかし、鬱陵島を出入りした大谷家が所蔵していた史料には「竹島(鬱陵島)、松島(独島)」という記録があるところ、竹島渡海禁止令には独島も含まれていることが分かります。

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